中途発達障害はこうして生き残る

社会に出てから発達障害と発覚したことを中途発達障害と題し、中途発達障害者である私の生き残りかたをメインに記すものである

第十三話 え?なんで?誰得?筆者傷心旅行へ行く

まさかの展開に一同唖然としていることでしょうが行ってしまったものは仕方がないのです。こんどは家出ではなくちゃんと行先も話して日程の調整もして、泊まる宿も決めてから行きましたのでご安心を。
どこになにしに行ったのかという旅行記については話の大筋と関連がありませんので、空港のラウンジってとっても楽しいところだよという感想を述べるにとどめておきます。

事の始まりは、妻からの提案で「2,3日どっかいってきたら?」というものでした。
それがいつの間にかあれよあれよという間に壮大な旅行計画に発展してしまい、あまりに発展しすぎたため大幅見直しを行って、何とか1週間ほどの旅行計画に落ち着いたのでしたが、妻の想定した費用の数倍の予算が投入されたことは言うまでもありません。

この旅行を期に私は、次のステップに進むことを決意したのでした。
それは障害者職業センターの利用でした。
他にも選択肢はいろいろあったので悩みました、就労移行とかも魅力的な感じ(特に温かいお昼ごはんがでるというところは)もしましたがなんだか胡散臭く感じて(障害者ビジネス的な)しまったので公の施設を選んだのでした。(再三になりますが、この様々な選択肢を探して見つけて私に提供してくれたのは妻です)

障害者職業センター利用までのながれとしては、電話で予約して説明会を受けます。
その後個別相談を行って今後の方針等大まかなことを話したうえで、センターを利用するかどうか決めていくというものです。

このセンターに入ったことは非常に大きな出来事でした。
なんといっても苦手だった「自覚」について多大なるご援助をいただき、
大きな気づきを得たことを覚えております。

第十二話 裁判傍聴はリハビリとして最適だったのか?

裁判傍聴リハビリをして日々を過ごしている筆者でしたが、ある時体調を崩します。

体調崩して利となることひとつもなし。

というわけで方針転換を余儀なくされる筆者(いろいろと省略しましたが、行間を読んだり察したりしていただけると幸いです)は次なる作戦を考えようとしましたがなかなか良い案が浮かばないまま時間だけが過ぎていくのでした。時間ばかり過ぎて行くなかで一つだけやっていたことがあります。それは求人票の取得で概ね週に一回はハローワークに行って求人票を眺めて、持ち帰り限度である5枚印刷して、妻と一緒に見てあーでもない、こーでもないといいながら条件面の整理をしたものです。勤務地、給与、年間休日日数、仕事内容、その他待遇など細かいところまでいろいろな求人を見ていったおかげでこれはいいな、これはやだなというのがわかるようになってきます。この条件はあれだけどこっちの条件がいいからそこは辛抱できるとかそういった自分の中の優先したいものも見えてくるのでこの活動には非常に意味があったと思います。

さて今後の方針ですが、個人ではいろいろと限界があるということにして、公の機関に助けを求めることにしました。まずはハローワークでやっている職業訓練コースに応募して、そこに通うことでリハビリもできて学習もできちゃう一石二鳥のプランで行くことにしました。
職業訓練コースに応募するには様々な書類を書かなくてはいけませんでした。
中でも志望理由とかジョブ・カードとかが必要になってくるので一筋縄ではいきません。
今思い返せばほとんど求人募集に応募する手続きと変わらない感じがします。
(書類書いて面接して選考結果が返ってくるっていう流れだったので)

あんなにがんばって書類書いて面接もそつなくこなしたのにあえなく落選!

職業訓練コースなんてだれが受けるか、おとといきやがれ!」と360度態度を変えた筆者がとった行動とは!?

第十一話 社会復帰までの時間を有効に

求職のデッドリミットが伸びた私は一旦立ち止まって新たに就職活動への道のりを考えました。まずは体を慣らさなくてはいけませんね。いくら外出の練習をしていたからと言っても、所詮は隣町に遊びに行っているようなものです。社会復帰したら電車にものるかもしれません。緊張感のある職場かもしれません。集中力が必要な仕事かもしれません。今の自分がどれだけできるのか(どこまでなら通勤できるか、どの程度の緊張感なら平気か、集中力はどれだけ続くか、そしてそれが持続できるのか)といった視点での実験が必要だと思い、リハビリを行うことにしたのです。(この辺りは「自覚する」の領域ですね)

リハビリについて無い知恵を絞って考えたところ(こういうことは一切妻に相談しないで自分一人で決めてしまうところがアスぺっぽい)
基本的には夜0時までに寝て、朝8時までには起きたいという以前からの生活リズムに加えて、日中は適度な緊張感のある場所で何かに集中する時間を設けたいと思いました。
そしてできれば電車に乗って移動するというまさに社会人のシミュレーション的な内容をリハビリに盛り込もうとしてたどり着いた答えが

「裁判傍聴」

まじかよ、あいつ頭おかしいぞという声が聞こえてきそうな雰囲気を感じたりもしますが話を進めるとですね、裁判傍聴は理想的なリハビリ環境だと思ったのです。
そしてこれが万人に通じるリハビリ方法だとさえ感じていたのです。


1 概ね最寄りの裁判所までは電車で行く必要がある
2 平日毎日裁判が行われている
3 最初の裁判は9時ごろと朝も早め
4 裁判所の雰囲気は適度に緊張感がある
5 裁判内容を集中して聞くことができる(自分の興味のある事件を選べる)
6 夕方までやっているし、好きな時間で切り上げることもできる

以上のことからこれが理想的なリハビリだと信じてやまなかった筆者は意気揚々と裁判傍聴を続けるのでした。

第十話 傷病手当が満期を迎え、失業保険の手続きに

とうとう傷病手当の満期(1年6か月)がやってきてしまいました。
それまで不労収入やっほーいと喜んでいたのですが、それもお終いです。
傷病手当の満期を迎えてしまった寄る辺ない筆者が次に頼るのは失業保険です。
延長解除の手続きをして、本格的に失業保険を貰って求職活動をする段階に入ろうとしていました。

延長解除をしたら失業保険を受け取るための手続きや求職活動についての講習を受けて
「求職活動表」みたいなものを受け取ります。そこには失業保険のもらえる金額や、日数といった情報が書いてあるのですが、このとき目を疑ったのが受給日数でした。
そこに記載されていたのはなんと「300日」一体どうしたというのでしょう?
私は前職を自己都合退職していますから「90日」だと思っていました。
しかし、この現実は一体どうしたものなのか?その疑問の答えはこちらです。
「失業保険の受給日数は会社を辞めた日の状態を基準にしておらず、失業保険受給申請を行った時点での状態をもって決定している」ということです。
つまり、前職を辞めた時点では障害者でなかった筆者は、延長申請中に障害者となった(障害者手帳を取得した)ため、障害者用の受給日数が設定されていたのです。
3か月で次を探さなければと思っていたところに10か月もの猶予が与えられたのです。
このときの気が楽になったことはよく覚えています。
今振り返って300日すべてが有効に使えていたかは疑問の余地はありますが、この300日があったからこそ、今があるということははっきりと言えると思います。

本当にあの時、障害者手帳を取得してよかった。
(取得の手続きをしてくれたのは一体誰なんだって話)

受給日数90日から300日になった筆者が次にとった行動とは一体何だったのか?

第九話 筆者、家出する

妻の心労も考えず、遊び歩いて家ではグータラ人間を相も変わらずやっていたらそりゃ大変なことになるでしょうよ。妻が激怒したときに私が感じた、不甲斐なさ、やるせなさ、申し訳なさ、虚無感、なんでそこまで言われないといけないのか、ムキーといったものたちが私を突き動かしました。

翌日の定期診察後、その足で沖縄へと向かったのでした。
携帯電話も置いて、デジタルツールを一切もたずに飛び出したのでした。
なんのプランも使わずに沖縄に行こうとすると値段が糞高いので絶対にお勧めしません。
飛行機は事前予約することを強くお勧めします。
沖縄旅行記は話の大筋とほとんど関係がないので割愛しますが、空港についたときからもう季節は冬に向かっていくところだったにもかかわらず、真夏のような蒸し暑さと沖縄タイムというような、ゆったりとした時間の流れを感じました。

飛び出すことしか考えていませんでしたが、最悪の事態を想定して、警察に保護されるところまでは想定できていましたが、特に何事もなかったように帰宅したら大変なことになっていたのでやっぱり家出って大変なことなんだなぁと身をもって体験したのでした。

成人の失踪ではなかなか警察は動くことはできないそうなので気を付けましょう。
警察の人からは行先くらい言ってから家を出ましょうと諭されました。
妻は方々に連絡してあれやこれやと手を尽くして探してくれたようで、とても大変な思いをしたと言っています。

家出をすると自分でも想像していないくらい、いろんな人の心配や迷惑になることがわかった筆者はこの方法は非常にデンジャラスな方法であると身をもって知るのでした。

そして「追い詰めると家出する者」の称号を手にした筆者は、再び社会復帰への道を探し始めるのでした。

第八話 暇との付き合い方

アプリゲームを禁止された筆者は急に暇になります。
暇だ、やることがない、寝ようということで昼寝をすることが多くなります。
いくら寝ても夜も眠れるという不思議体験をします。

あまりにも暇すぎたのでプールに行くことにしました。(唐突)
幸いにも市営の運動施設があってそこでプールが利用できます。
さらに、障害者手帳を持っているため利用料が免除されるということも大きな理由でした。
ランチパスポートとプールの二大看板となった外出日なのですが、如何せんプールなどほぼ十年ぶりのことで勝手が違うことに気づけない筆者は昔のように無謀な泳ぎを繰り返すのでした。その結果、プールの翌日は一日寝ているというお粗末な結果になり、それを看病させられる妻の心労はたまっていく一方なのでした。

「自分がつかれていることに気づけない」ということも、発達障害の症状としては珍しくないもので、ありとあらゆる自分のことに気づきにくい特質であると言えます。
痛み、空腹、つらみ、体調悪い、などの不具合お知らせ機構がまったく機能していないので急にダウンするといったことがままあります。電池切れのおもちゃでさえ、その兆候を示すというのに一体どうなっているのか、急に電源抜かれたPCみたいな感じですかね。

本人はただ倒れているだけですからそりゃいいでしょうよ、問題はそれを看病しなきゃいけない人です。さっきまで平気だったのに急にダウンするのでなんでやねんとなります。
それに付き合わされる身にもなれと言いたいことこの上なしでしょう。

第七話 発達障害との付き合い方がわからない

晴れて障害者として公私ともに認められ、障害者として生きていくことになった筆者ですが発達障害という隠れ蓑をいいことにやりたい放題の日々を送っていました。
「~ができないのは発達障害のためである」そんな態度で毎日を過ごしている筆者について、隣にいる妻はどう感じていたのでしょうか?想像しただけで恐ろしい気持ちになると思いましょうが、なんと筆者は特に共感能力が欠落している節がありますのでまーったくわかっていなかったのでした。

発達障害だからといって何をしてよいのか全く分からず、とりあえず規則正しい生活を送っていればいいかなぐらいに考えていました。
早寝早起き、といっても0時寝の8時起きぐらいでしたがやってましたね
長い間引きこもり状態であまり外にでていなかったし、外に出る練習として隣の駅まで行って図書館などで本を読んだりして過ごす日を作って試行錯誤してました。
その時にとても役に立ったアイテムがありました「ランチパスポート」という本で、
記載されているお店にその本を見せると割引してくれるというものでしたがこれでずいぶん外出するモチベーション維持できたように感じられます。
ランチパスポートは期間が定められていたのですが、次々と続編が出版されてかなり長い期間、外に出る練習のお供として役に立ってくれました。

外出する日はまだいいのですが、問題はそれ以外の日です。
「外出しない日=休み」というトチ狂った考えの持ち主ですので、相も変わらずアプリプリプリの日が続いていました。
遊び歩いては家でぐーたらしている奴がいる一方、無職でこの先の収入についての不安を抱えつつ、一家の家計をやりくりしている妻ですが、本当に一生懸命この先の生活についてあれこれと考えてくれており、いろいろと調べたりしてくれていまいしたが、アプリに夢中の筆者はテキトーに聞きいたり聞いてなかったりしていましたのでとうとう堪忍袋の緒がついに切れてしまったのです!
(本当はもっといろんなことがあったため堪忍袋の緒を切ってしまったんですけどそれを書くと私への同情票がゼロどころかマイナスになるので割愛させていただきます。皆様の想像にお任せします。)

ついにアプリ禁止法が施行され、あえなく御用となったのです。
(アプリゲームは禁止されましたが、3DSとかPS4とかのゲームはOKなのでご安心を)